― 月 ―


 天気がいい日の昼下がりは、季節を問わず暑い。俺はそれが嫌だ。
 俺の所属する部は鬼監督が有名で、太陽が照りつける日でも容赦なく学校の外を走らせる。
 時々、本当に病気になってやろうかと思う事だってある。が、俺の体はそれほど柔じゃないらしい。
 監督のお陰というのが、ちょっと癪だが…。
 グラウンドの隅。友達と準備運動をしていた俺はふと、マネージャーが一人足りない事に気付いた。
「アイツが遅刻なんて、珍しいな・・・。」
早退する事はあっても、遅刻してきた事なんか一回も無いのに・・・。
 チビで少し鈍くて天然、けど・・・・・・何にでも一生懸命なアイツ・・・。

 真っ白に降り注いでいた光が、オレンジに変わり始めた。
 影もいつの間にか足が伸びて、俺の背よりも長くなっている。
 水飲み場で汗と砂埃にまみれた頭を洗っていたら、ふと隣に小さな影が差した。
「あ・・・・・・」
「お疲れ様です。」
にっこり笑顔で話しかけてきたのは、俺の一年後輩のアイツだ。
「お前、まだ残ってたのか?」
「えっと・・・後片付けを頼まれたんです。私、今日は用事があって来るのが遅くなりましたから。その分、仕事しないと。」
その手には、部活で使った道具の入った籠を持っていた。
 いつもは何気なく使っているけど、改めて見ると何となく重そうだ。
「あ、そうだ!あの、タオルいりませんか?私、持ってるんです。・・・あれ?えっと・・・確か・・・」
「あ、おい!」
――― ゴロゴロゴロ・・・・・・
「「あ・・・・・・」」
俺とコイツの声がハモった。
 コイツがジャージのポケットからタオルを探っていると、油断した隙にボールが籠から零れて、方々に転がった。
 けど、こんな光景は何度も見ている。
「・・・またやったな。」
「・・・ごめんなさい!すいませんでした!!」
俯いて、申し訳なさそうに何度もペコペコ頭を下げる。
 それなら、最初から落とすなよ・・・。
 俺は思わず溜め息を吐いた。
 もう二年間こいつのドジは見てきた。特別驚くことじゃないのは分かりきっているけど、帰り際にこう派手にボールをぶ ちまけられるなんて考えてなかったぜ・・・。
「おら。」
「わわっ!」
俺は軽く首を振って髪の雫を飛ばすと、お前の肩を抱いた。
 俺の肩より少し低い、こいつの肩を。
「俺も手伝うから、さっさとボールを集めるぞ。絶対下校まで三十分切ったんだからな。」
「・・・はい。あの、ありがとうございます・・・。」
コイツはそう言って腰を折りそうに深く頭を下げると、俺の手から出ていった。 

 「・・・18、19、20。これで全部か?」
「あ、はい!本当に、ありがとうございました!」
何かある度に腰を曲げてお辞儀をするのはコイツの癖だ。
「ったく!ドジなのは一年経っても治らねぇな。」
「す、すいません・・・。」
夕日がだいぶ傾いてきて、俺達の影は気持ち悪いくらい長くなっていた。
 何となく、俺は思っていた事を口にしてみた。
「・・・俺、チャリだから送ってやるよ。」
「えぇっ!?」
「っ!!」
俺は思わず耳を塞ぐ。
 チャリで送られる事にコイツはビックリしたが、俺はコイツの口からこんなデカイ声が出た事にビックリだ。
 「あの、いいです!そんな片付けまで手伝ってもらったのに、そんな・・・!!」
「いいんだよ。どうせ、隣町まで本を買いに行こうと思ってたし。」
「・・・あ、じゃあ・・・お願いします・・・。」
「・・・・・・あ、あぁ・・・。」
咄嗟に出た嘘の上手さに自分でも驚いた。
 いつものように俺にお辞儀をしてきたお前・・・。
 いつもと何も変わらない風景に、俺は言葉を詰まらせた。
 柔らかい髪が動きに合わせて揺れて、少し照れ臭そうに微笑んだだけなのに・・・。
 俺は土手沿いの夕日に照らされた道を、後ろにアイツを乗せて自転車でゆっくり走る。
 二人乗りに緊張している手が、俺の背中のシャツを強く握っていた。
 らしくもなく、俺は自分が妙に緊張しているのが分かった。
 「あの・・・綺麗な夕日ですね!川がキラキラとオレンジ色に光って、凄く綺麗です!」
「あ、あぁ・・・。そうだな。」
情けない・・・。自分でもそう思うくらい、かなりそっけない返事をしたような気がする。
「あ、でも、水とかに反射した光って、眩しいですよね。もう少し暗かったらいいのに・・・。」
「っていうか、暗かったら『光』じゃねぇんじゃねぇの?」
「あ・・・・・・」
 会話がないところを必死に何とかしようという、イッパイイッパイな感じが何だか楽しい。
 「あ、えっと・・・その・・・あ、いいんです!!私、お月様の方が好きですから!太陽は暗くても良いんです!!」
「いきなり何言い出すんだよ・・・。」
きっと俺の運転する後ろで、握り拳を作っているくらいの力説だろう。
「私、本当はお月様の方が好きなんです。」
「夜が好きだからか?」
「あ、いえ。そういう意味じゃなくて・・・。」
こういう風に言葉に詰まるのは、自分の考えを整理しているからだ。それはもう分かっている。
 だから俺は、コイツが喋りだすのを待った。 
「お月様の方が、素敵だから・・・。太陽は凄く光ってるけど、眩しくって・・・。私なんか、きっと霞んじゃう・・・。太陽の光は、 何でも照らしちゃうから・・・。」
「・・・そうだな。」
 俺の素直な共感に、後ろで息を詰まらせた声が聞こえた。
 このゆっくりした空気は、コイツのゆっくりした口調の小恥ずかしい言葉を、凄く光るものにした。
「先輩は太陽ですね。いつも部活に熱心で、凄く光ってますから。」
「そんな事ねぇよ。サボってると監督に怒られるからだよ。」
「でも先輩は、監督に怒られた日は、ずっと残って自主練してますよね。」
「なっ!!み、見てたのかよ!?」
「はい♪」
見られていた事にかなり驚いた俺をクスクスと笑いながら、コイツは返事をした。
 明るい口調。きっと、いつものニッコリとした笑顔だ。
 すぐに、どんな笑顔を向けているのか俺は思い浮かべた。
 ふと、俺の背中が重くなる。
「先輩、知ってますか?」
「ん?」
「お月様は、自分を照らしてくれる太陽があるから、その光で頑張って輝くんですよ・・・。」
「・・・・・・そうか・・・。」
「そうなんです・・・。」
 俺は、それ以上の言葉が見つからなかった・・・。
 「なぁ、知ってるか?」
監督の喝が今日も飛ぶだろう、そんな暑い日・・・。
「アイツ、転校したんだってな?何でも親の都合とかでさ。すっげぇ急だよな?」
「・・・ま、別にいいんじゃねぇの?」
「普通送別会とかしねぇ?同じマネージャー連中もビックリしてたぜ?」
「言わねぇ方がアイツらしいじゃん。」
俺は大きく伸びをして、ふと小さく笑った。

 

「俺だって、月だ・・・。」
 アイツの喋り口調で、『太陽』を思い浮かべて・・・。 

 



END

4シリーズの中で一番気に入ってます。
そして、一番爆笑の思い出があるのもこの作品。