読書


 「ごめ~ん!今日も先に帰ってて~!」
「あんた、今日もあそこに行くの?」
「うん!」
 運動部の部室で制服に着替えながら、私は少しニヤけた笑顔を返した。友達が少し呆れたように苦笑した。
 私は時間を気にしながら帰る準備をすると、分厚い本を片手に部室を飛び出した。
「あいつって、本当にマメ子よね…。ま、思ったら一直線がいい所か…。」
 陸上部の練習が終わった後に、校舎の四階まで階段を駆け上がる。

―――ガラッ!

「…はぁ、はぁ…まだ、いるかな…。」
肩で呼吸を整えながら、私は慌てて髪を直す。
「まだいるよ、豆下さん。」
「あ、本山君…。」
 書架の整理をしていた図書委員が、『本山 恭介』の名札をつけて奥からひょこっと顔を出した。私は慌ててカウンター に駆け寄る。
「あ、あの…これ、昨日借りた本。返しに来ました…。」
「ん。ありがとう。」
 いつもこうして顔を合わせる時に本当に恥ずかしい思いをする。
 部活終わりに全速力で走った所為で顔は変に真っ赤だし、息も上がってるし、手櫛で直した髪も変だったらどうしよう かと、考えが頭の中でぐるぐる回っちゃう…。
 「この本、一日で読めただろ?」
「えっ!?あ、うん!凄く面白かった!読み出したら一気に読んじゃって…」
「うん。本好きの人なら絶対に一気に読むって思った。厚さに敬遠する人が多いんだよね…。せっかく面白い内容なのに ……」
「そ、そうだよね…。」
私もその一人とはとてもじゃないけど言えない…。
 だって、本山君はこの本を書いた作者がお気に入りなんだもんね。 
 昨日の夜、この日の会話をしたい為に一生懸命に読んだ。
 眠い目を擦りながら、文字の羅列に参りながら……。
 だって、本山君に会うまで漫画しか読んだこと無いんだもん…。国語の教科書でもギブアップするのに…。
 私が彼に初めて会ったのは、一ヶ月前の購買部だった。
 あだ名は『マメ子』。その名にふさわしく私は身長が低い。人が殺到する昼休み直後の購買部ではなかなか置いてある パンが見えないし声が通らない。
『あ―…どうしよう…。今日は昼休み後半に陸上部のミーティング入ってるから、絶対に食べておきたいのに…!!』
『何にする?』
ふっと声がして慌てて顔を上げると、そこに本山君がいた。
『一緒に買ってあげるよ。』
『あ…じゃあ、ジャムパンとクリームパン、それからイチゴ牛乳をお願いします…。』
用事がないと話した事の無いクラスメイトだった。
 そんな彼にいきなり声をかけられて、私は変な言葉遣いで話してしまった。
『…ジャムパン、売り切れちゃってるよ?』
『あ、じゃあコロッケパンを…。』
『ん。』
短く微笑んで返事をした本山君が、私にパンとイチゴ牛乳をくれた。
 それから私は、何かお礼がしたくて本山君と喋るようにした。
 今まで喋った事がなかった彼。知らない事が多すぎて、知れば知るほど出来た人間だと知って…。 
 「あ、あの…本山君のお勧めの本ってないかな…?また借りて読みたいの。」
「俺のお勧め…?ちょっと待ってて…」
「あ、うん。」
 昨日みたいな分厚いのは持ってこないでね~…!と、心の中で祈った。
 本山君の友達は皆、彼を『活字中毒』って呼ぶ。最初は分からなかったけど、ようやく分かった。
 図書委員をしているのだって、家に帰ったら勉強ばっかりでつまらないから、出来るだけ本を読みたいからなんだそう で…。
 少し待っていると、奥から二冊の本を持って本山君が戻ってきた。タイトルを見て、私は少し驚く。
「これ…漫画の原作になってる…」
「うん。知ってる。」
本山君は少し困ったように頬を掻いた。
「昨日はあんな本を押し付けちゃってごめんね。豆下さんって、本当は漫画の方が好きなんでしょ?」
「知ってたの!?」
見られていて嬉しいような、本好きだと偽っていたのが悲しいような……。
「これなら薄くて読みやすいから。それに漫画の原作だから、豆下さんも読み易いでしょ?」
「…あ…うん。ありがとう…。」
 こういう、さりげなく紳士的な所が私を照れくさい気分にさせる…。
 思わず俯いてしまった私の顔を覗き込みながら、本山君が聞いてきた。 
 「借りる?」
「あ、うん!借りる!絶対読む!!」
慌ててはっきり言った私に本山君は苦笑する。
「別に無理しなくていいよ?」
「無理なんてしてないよ!…けど、昨日みたいな本は勘弁かも。面白かったけど体痛くなっちゃったんだもん…。」
「ごめん、ごめん。」
少し笑いながら、貸し出しの手続きをする。
 この本を帰って読んだら、また一つ会話が出来る。そう考えると、やっぱり嬉しくなる。
「今度はさ、豆下さんの漫画を貸してよ。俺、漫画ってホントに読まないからぜんぜん知らないんだよね。」
「あ…うん。じゃあ、明日お勧めの持ってくるよ!!」
「楽しみにしてる。…じゃあ、これ。」
「うん。あ・・・…バイバイ。」
私は軽く手を振って、図書室を後にする。
 いつか、彼のお陰で本当に本が好きになる私を思いながら……。



END